プーケット生活

プーケット田舎暮らしも27年、毎日が心地良いです。

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金戒光明寺

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2017年の京都旅行は桜に恵まれた1週間。すっかり僕達はプーケットに住んでいる事を忘れてしまった1週間(笑)タイの4月は毎日がジリジリと暑くなるべく逃げたいと思っている我が家。気温18度前後京都で過ごすのはそれは、それは心地良いのです。京の街を歩く!プーケットでは感じる事の出来ない感覚、幸せですね。

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黒谷にある金戒光明寺こんかいこうみょうじ
桜や紅葉では穴場スポットらしいです。とても静かでゆっくりと桜を楽しむ事が出来ました。本当に長く見学出来て楽しかったです。

有名なお寺へ行くと外国人観光客が多い京都、本当に凄いな~っと毎年思うのです。今年で三年連続、僕達も日本人とは言え、半分外国人&プーケット人ですけどね(

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金戒光明寺の歴史
承安5年(1175年)春、法然比叡山の黒谷を下った。岡を歩くと、大きな石があり、法然はそこに腰掛けた。すると、その石から紫の雲が立ち上り、大空を覆い、西の空には、金色の光が放たれた。そこで、法然は、ここに草庵を結んだ。これがこの寺の始まりであるとされる。ここは、「白川の禅房」と呼ばれ、もとは比叡山黒谷の所領で、叡空入滅の時、黒谷の本房と白川の本房を法然に与えた。そのため、比叡山の黒谷を元黒谷、岡崎の地を新黒谷と呼んだ。法然は、後に信空に黒谷の本房と白川の本房を与え、信空はこの地に住んだ。その後、岡崎の地を新黒谷とは呼ばず、黒谷(くろだに)と呼ぶようになる。なお、比叡山では、黒谷を現在も黒谷と呼ぶ。第5世恵顗の時に堂を整え、法然の見た縁起にちなみ紫雲山光明寺と号した。第8世運空は、後光厳天皇に戒を授けて、金戒の二字を賜り、金戒光明寺と呼ぶようになった。法然が最初に浄土宗を布教を行った地であることに因み、後小松天皇から「浄土真宗[1]最初門」の勅額を賜った。江戸時代初期に城郭構造に改修された。文久2年(1862年)には、京都守護職の本陣となった。第二次大戦後、「黒谷浄土宗」として一派独立するが、現在は浄土宗に合流し七大本山の一翼を担う。御詠歌「池の水ひとの心に似たりけり 濁り澄むこと定めなければ。
金戒光明寺 - Wikipedia

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家族旅行はいつでも楽しいですね。ゆったりと歩き、1日2回のこだわりの京都ならではの喫茶店で珈琲を頂くのです。これが僕達の楽しみ方、と言うか僕の楽しみ方ですね。付き合ってくれる妻と娘には感謝しております。

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『三脚、持ってくれば良かったな~』っと独り言
『また来年くれば良いからね』っと妻の一言

2018年は嵯峨野にも滞在する予定です。
『10日間ぐらいのんびり滞在してみようかね』っと夫婦で桜を見ながら話すのです。京都にすっかりはまってしまいました。一年に一度の楽しみですね。

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娘も『桜、たくさん咲いているね』っと大喜びでした。
暑い島で生まれた娘、気温18前後で時折吹く冷たい風が気持ち良いらしいです。これからも我が家に合った良い季節に訪れたいですね。

www.shimakazephuket.com

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