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12月26日の朝になると思い出すスマトラ島沖地震

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パトンビーチ

数あるブログの中からご覧くださってありがとうございます。

今から遡ること13年前、2004年12月21日から25日のシミラン&スリンダイビングクルーズに乗船しました。海も穏やかで安定しており、水も良く透明度も抜群、自分なりには良い海をゲストに見せることができたと思う5日間。

海ガイドは満足でもお腹は最悪でクルーズ中に大当たりしてしまった僕。下痢、熱がひどく、水温30度でも寒く感じたことは今でも鮮明に覚えています。タイ生活、当たるときは当たるのです。

来年に23年目のスタート、今まで3度腹痛で入院したことがあります。薬を飲み自宅で安静にしても無理なものは無理なのです。飲んだ瞬間、水ように下から流れてしまいます。下痢って本当に辛いです。嬉しいのは体重が一時的に減ることぐらいでしょうか?(笑)

2004年12月25日、夕方自宅に戻り「腹、辛いな〜」「年越しクルーズの前に点滴だな・・・・」「明日26日の朝1泊2日で入院しよう!」っと決めていた僕。効き目のない薬を飲み、何も食べずに爆睡。翌朝の26日、もの凄い地震で目が覚めて「あ、タイで初めての地震だ・・・」っと驚いたことも鮮明に覚えています。

自分のお腹が心配で病院へ行くと病院内が大騒ぎになっていました。

その時始めて「スマトラ島沖地震 」がプーケットを襲ったことを知ったのです。下痢に高熱に苦しむ僕が病院内で見た光景は今でも忘れられません。本当に凄かった!病院内が大パニックでした。

もちろん下痢で入院などすることもできません。ただ、ただ唖然として自宅に戻ってきました。

心配だったのは津波の前日、25日の朝出発でシミランクルーズに乗船したスタッフのことでした。26日、27日、28日と3日間連絡が取れず本当に心配でした。

無事にゲスト3名とプーケットに戻った彼、津波が襲った朝の1dive目は今まで経験したことのない透明度で真っ青な海中世界だったらしいです。そして朝食後に遠くながらゆっくり、ゆっくりと大きなうねりがやってきたことに驚いたらしいです。彼曰くまさか津波とは思いもしなかったらしいです。

カオラックピピ島、パトンビーチ、カマラビーチでの残酷な映像をYouTubeで見ると今でも恐ろしくなります。

賑やかでネオンがキラキラと輝くパトンビーチがゴーストタウンのようになった半年間。本当に思い出したくありません。

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スマトラ島沖地震

wikipediより抜粋します。

この2004年スマトラ地震におけるマグニチュード9.1は、1900年以降でチリ地震に次いで2番目に大きい規模である。これはモーメントマグニチュード (Mw) であり、ハイチ地震 (Mw7.0) の約1,400倍、2003年十勝沖地震 (Mw8.0) の約40倍、東北地方太平洋沖地震 (Mw9.0) の約1.4倍に相当するエネルギーである。

また、アメリカ地質調査所 (USGS) の暫定発表で当初マグニチュード8.1と発表されていたが、次にマグニチュード8.5、さらにマグニチュード8.9と発表された後、9.0に修正された。さらにその後、アメリカ・ノースウェスタン大学などの研究グループにより、9.3に再修正された。

2012年現在、USGSではマグニチュード9.1。最終的には米ノースウエスタン大学と同程度の値になる可能性もある。これは、震源地でプレートが3回に渡って南から順にずれ、そのずれの継続時間が6 - 7分にわたったためと見られている。

震源域は研究機関によって異なり、およそ1,000km - 1,600kmと長さをもつ。地震後のGPSや実地調査では、スマトラ島北西沖にあるニアス島からインド領のアンダマン諸島北端までの広範囲で隆起・沈降・水平移動といった地面のずれ(変位)が観測されている。国土地理院の分析によれば、震源域はミャンマー領ココ諸島(英語版)とアンダマン諸島北端の間付近から、ニアス島の北西に位置するシムルー島(英語版)北部までの約1320kmとされている。

平均を取って約1,300kmだとしても、日本列島沿岸の海溝に当てはめれば銚子沖から得撫島南方沖あたり、あるいは銚子沖から奄美大島東方沖あたりにまで及ぶ規模である。M9.3の本震だけを見ても,ずれた断層(プレートの境界面)は南北に約400km、東西に約150kmにわたる範囲に及び、ずれた距離(変位)は最大約20mという巨大な規模のものであった。

津波が発生し、インドネシアのみならず、インド洋沿岸のインド、スリランカタイ王国、マレーシア、モルディブマダガスカルソマリアなど東南アジア全域に加え、東アフリカ等でも被害が発生した。本地震ののち、チリで津波デマによるパニックが起こり1人が死亡したほか、世界各地で新たな地震発生後に津波を警戒して住民が早期に避難した事などから、この地震が世界中に知れ渡り、人々の心に強く残ったことを示している。

この地震以降、スマトラ島周辺では大きな地震が多発している(詳細は「スマトラ島沖地震 (2004年) - Wikipedia」参照)。

www.shimakazephuket.com

最後までお読みいただきありがとうございました。

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